あまりにも間が空いてしまっておりますが、今回のメインを書かずに終わるわけにもいかないと思いまして、敢えて続きを書きます。
堀川親水公園を離れ、日差しを受けつつ歩きながら、すでにお腹が空いていた私。Aさんは元々、喫茶を三軒も回るから昼食はなし、と言っていました。
源頼光と小松帯刀って、時代の隔たり方がすごい…。
↑こんな標識を見つけたり、クロネコさんが自転車にリヤカー(死語?)付けて配達に勤しんでいる姿を見かけ、
「おお、なるほど、これが京都か~」と感心したりして観光を楽しみつつも、どんどんブルーになってきます。(お腹が空くとつらくって、悲しくって、イライラしますよね! )
コンビニで買ったチョコレートをかじりかけ、京都へ来てなんでこんなもの食べてるのかとまた悲しくなってやめたり、そうこうしているうちに、次の目的地が見えてきました。
虎屋菓寮。民家の間にふと現れた、という感じでした。中へ入るとモダーンでシックな異空間が広がります。案内してくれた店員さんは欧米系。ここはパリ?ニューヨーク?
京都は、外国人のお客さんも多いでしょうから、英語かフランス語でも対応できる人材を用意しているのかな? それともパリの店から研修に来ているとか?
とらやがパリに出店したのは1980年だそうです。もう30年近く経つんですね。そろそろ現地でも老舗の部類かも。
奥にはお庭があって、テラス席から眺め渡せます。
風が吹くとさざなみが立って、きれいでした。しばらくここでぼーっとしていたい気がするくらい。
行ってみたら可愛いお重に入ったお弁当(3500円)やお赤飯というメニューもあったのですが、Aさんが(もう一軒行くから)和菓子セットしか頼まないというので、私だけお弁当も頼めず。
せめて甘くないもの、と思ってところてんにしました。でも、ところてんも黒蜜か白蜜をかけた甘味。一瞬「えーっ」と思ったけど、 おいしかったし、少しお腹がごまかせたし、テラス席のたたずまいが居心地よくて、気持ちが落ち着きました。
Aさんの生菓子白なす。黒ごまで種まで表現してあるんですよ。→
この日の生菓子は他に藤の花をかたどった「松の友」、ホトトギスの焼き印の薯蕷「初夏の風(だと思ったけど?)」、きんとんの「紫陽花」でした。お土産に買って帰ったけど、さすがに美味しかったです。
その上、京都店は15日にリニューアルオープンしたばかりだったので記念品をもらっちゃいました。
懐紙と黒文字のセットとナプキン(ハンカチ?)。
なんだかそれだけでリッチな気分になって(お手軽な私たち
)、御所へ向かいました。
烏丸通りへ出て、工事中の虎屋京都工場を背に歩き、金剛流の能楽堂や府民ホールを過ぎると、御苑の入口(中立売御門)が見えてきます。
御苑公園内は広々としたところです。見学時間の20分前にならないと受け付けてもらえないのでトイレに行ったり、休憩所付近をぶらぶらしたり。
そこに何かよい香りが漂ってきました。花の匂いにしてはすこし青臭いような感じ。
見回すと木の梢に白い花らしきものがあります。
表示を見ると「センダン」と。さすがに「双葉より芳し」の栴檀です。他にいい香りの元になりそうなものは見あたらなかったので、匂いのもとはこれでしょう。(後で調べたら、「双葉より芳し」と言われるのはビャクダンのことだそうですが。)
さて、いよいよ見学です。御所内は撮影OK。ただし、ブログなどに発表するのはご遠慮下さい、とのことで、内部の写真は公開できません。ゴメンナサイ。見学の申し込みはネットでできて簡単なので、是非一度お出掛け下さい。無料です。(詳しくはこちら。)
見学は同一時間に申し込みをした人を一つのグループとしてガイドさんが解説しながら回ってくれます。この日は30~40人くらいだったかな。建物内に入れるわけではなく、外郭をぐるっと回るだけ。小学校の修学旅行で来たはずなのに、見学した内容は全然記憶にないのはそのせいかな。二条城は見た憶えがあるんですけどね。それでも一時間かかります。
紫宸殿は承明門の外から眺め、中にあるという高御座は見えたような気持ちだけ味わいました。左近の桜、右近の橘や枕草子に出てくる呉竹(を再現したもの)もあり、平安朝の暮らしぶりを想像できるような気がします。
京都御所というと平安時代からずっとあるように思ってしまいますが、何度も焼失して、再建する財力がなかった天皇は、実際には離宮や外戚の屋敷に仮住まい(里内裏)している時代が長かったそうです。王権が絶頂期にあった頃の御所はもっとずっと広く、内裏は今の二条城あたりだったとか。
現在の建物は幕末、大正に往時の内裏を再現して建てられたもの。明治天皇や皇女和宮、大正天皇あたりは住まいとして使ったかもしれませんが、それも再現された清涼殿ではなく、別棟だったようです。そりゃあ、近代人が平安時代そのものの建物では暮らせませんよね。
見学を終えて出てくると4時を回っています。 帰りは蛤御門から。蛤御門といえば、禁門の変、というのがありましたね。
後で知ったのですが、御所の北にある同志社大学の敷地は薩摩藩の藩邸があった場所なのだそうです。そこで薩長同盟が結ばれたのだとか。
そういえば、虎屋菓寮へ行く途中に小松帯刀寓居跡ってあったっけ!
こうしてみると、今の京都御所は幕末~明治の史跡と捉えた方が適切なのかもしれません。
本日最後の見学地は蛤御門のすぐそばにある護王神社。狛犬の代わりにイノシシが置かれているという神社です。確か、亥年だったかその前の年だったかの暮れに見に行ったことがあると思うんですけど、Aさんは「行っていない」と言い張ります。
主祭神はぐっと時代を遡って、和気清麻呂とその姉広虫。道鏡の天皇位簒奪の陰謀を打ち砕いた(=護王)手柄を顕彰した神社です。その清麻呂を猪が守ったことから、狛犬の代わりに猪が置かれることになったようです。
その由来は絵物語のようにして境内にぐるっと描かれているのでよくわかります。
なんかキッチュな香りが漂うな~、と思ったら、もともと高雄山神護寺の境内にあった和気清麻呂の霊社を明治になってから持って来たものなんですって。これも幕末・明治の史跡ですかね。
神社を出て少し歩くと、菅原邸址が。道真公の産湯につかったという井戸もありました。
一日御所のまわりをぐるっと回ってみて、感じたのは、「宮中」というのは実態がないものなんだな、ということでした。「宮中」で行なわれていた行事や習慣を武家や庶民が有り難がって取り入れてきましたが、本家本元の天皇は明治になるまで、住まいにも事欠くくらい窮乏していて、実際には必ずしも古式に則った儀式や習慣を守って暮らしてはいなかったわけですよね。伝統伝統と言っても、その源は幻想の「宮中」だったのかもしれないと思いました。何もかかもがそうとは言いませんが。
四条河原町へ向かうバスに乗るため、丸太町の交差点に出ると、印象的な洋館に目が引きつけられました。
写真がぼけてて残~念。
塀の上からこぼれるように咲いた薔薇も美しい。
大丸ヴィラという建物だそうです。大丸百貨店店主の下村家が居宅として昭和7年に建てたもので、設計はヴォーリズ。家具までチューダー朝様式でまとめた本格的な洋館です。
残念ながら一般公開はしていないそうです。
京都へ来て、近代を肌で感じた一日。もう少しで終わります。
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